◎北野天満宮について

 

 みなさんは、北野天満宮といったら、すぐに菅原道真(すがわらみちざね)を思い起こされると思います。

でも、実は豊臣秀吉や実子の豊臣秀頼とも深い関係があることをご存じでしょうか?

 

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が長い戦乱(応仁の乱の11年間)で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵から京都を

守るために洛中と洛外を別けるためにつくった防塁と鴨川の氾濫から市街を守る堤防として天正19年(1591)に築いた

土塁です。(総延長22.5㎞)

また、それに先立ち、天正15年(1587) 秀吉は北野天満宮一帯で大規模な茶会を開きました。世に言う、「北野の大茶会」

です。

秀吉の死後、慶長12年(1607)、時代は徳川の世となっていましたが、実子秀頼は、秀吉の遺命により、北野天満宮の社殿を

再興しました。現在この建物は国宝に指定されています。

 

 北野天満宮についての詳しい解説は、下記同天満宮のホームページをご覧ください。

 

 

 

北野天満宮ホームページ